華武太極拳クラブ
会長 王 革
私の太極拳恩師李秉慈先生が昨年2022年4月8日に93歳で逝去されました。
50年近くにわたって、李秉慈先生の指導の下、武術の道を歩いて来ました。
先生の厳しさと熱心さが、今も私の心に深く刻み込まれています。
㈠ 李秉慈先生との出会い
私と李先生の出会いは1971年頃、私が小学校三年生の時、体操チームで稽古していた私は器械体操恐怖症のため、やむを得ず体操をやめました。
その時武術チームのコーチを担当されていた李秉慈先生が、一言「来練武術吧!(武術を練習しに来なさい!)」と誘ってくれました。当時、武術にはあまり興味がなかった私でしたが、誘われるがまま武術チームの一員になりました。
あれから李秉慈先生の下で指導を受け、気が付けばこんなにも長く太極拳をやり続けて来ました。

1980年頃、私(右)と姉(左)が北京の公園でのイベント演武前に李先生の指導を受けているところ。
㈡ 基礎を築く
1971年からほぼ10年間は長拳を中心に鍛錬しました。1980年代からは呉式太極拳をはじめ、太極拳の各流派や伝統拳法も習いました。
李先生は基礎訓練に特に厳格であることが、中国だけでなく、日本でも有名です。
もちろん長拳や太極拳の訓練には下半身の柔軟性と強さが重要であることは分かっていましたが、子どもの頃の私にとっては、ぜんぜん楽しくありませんでした。
毎回レッスンは、まず圧腿、踢腿など下半身の柔軟性をしっかり身につける事から始まりました。
続いて、一つひとつの動作を連続しても正しい姿勢が崩れないように、ゆっくり何度も何度も繰返し繰返し…。
あれから数十年経ちましたが、今でもあのきつかった練習のことは昨日のことのようにはっきり覚えています。でも不思議と今ではとても良い思い出になっています。
李先生の厳格な基礎訓練の繰返しが、今の私の太極拳の基礎を築いてくれました。
感謝の気持ちでいっぱいです。

1999年北京に帰省した際、李先生の指導を受けているところ。
1990年代、中国改革開放の潮流に乗って、私も家族と日本の岡山へやって来ました。
2001年には当時の岡山太極拳同好会(現在の華武太極拳クラブの前身)で北京を訪問しました。
北京で有名な天安門広場・天壇公園など名所観光もしましたが、ハイライトは北京東城武術館にて、李秉慈先生のご指導を受けることでした。
訪問団のメンバーは私より年齢が高いにも関わらず、下肢の柔軟性と太極拳の基礎訓練を受けました。
みんな良い汗をいっぱい流して、満足して日本へ帰り、良い思い出ができたと思います。

2001年岡山太極拳同好会の皆さんと東城武術館にて李先生(前列右から2人目)や館長、コーチらと記念撮影。
㈢ 恩師の言葉を生涯銘記して
2019年北京に帰った時、私は李先生のご自宅をお伺いしました。それが李先生にお会いする最後の日となりました。
当時李先生は90歳の高齢でしたが、とてもお元気で、先生のお宅はさながら太極拳サロンのようで、太極拳仲間との交流もでき、そして李先生と日本での太極拳活動の様子や呉式太極拳の指導方法などについても、ゆっくりお話しができ、大変思い出深い楽しいひとときでした。
かつて李先生からよく言われていたのは
「功夫是練出来的、不是説出来的(拳法は鍛錬して出来るもので、理屈で出来るものではない)」という言葉です。
この時もその言葉を繰返されたあと、「いつまでも、太極拳を磨くことを忘れないように」とおっしゃいました。その時の情景を今でもはっきりと覚えています。
「呉式太極拳をもっと広く普及する」という恩師の遺志を、私自身の人生の使命として、これからも頑張っていきたいと思っています。

1996年北京に帰省した際、李秉慈先生と東城武術館にて
人生で李先生に出会うことができて幸運でした。
李先生のおかげで私は単純に武術練習する子どもから、現在は武術を、そして太極拳を愛し、自分の生涯にわたって追及する職業になるまで成長しました。
これからも、先生の言葉を心に銘記して、一生太極拳の奥深さを探求し続けていきます。
李先生、本当にありがとうございました。
【李秉慈先生の経歴】

李秉慈(Li BingCi、り へいじ、1929〜2022)
北京の東城出身で、著名な武術家・武術教育者であり、中国武術百傑の一人、中国の国家級審判員、一級武術教練員、呉式太極拳第4代継承者。
中国武術協会委員、全国武術学術研討会評議委員、北京市武術協会顧問、北京市級非物質文化遺産呉式太極拳項目代表的伝承者。
北京市呉式太極拳研究会の発起人の一人であり、第3期、4期の会長を務めた。
北京東城武術館の創設者の一人。
その他、北京市東城区政治協商会議常務委員なども歴任された。

